【徘徊という言葉について】
認知症やその周辺症状によって、外出したものの自分の居場所がわからなくなり、自宅へ戻ることも出来なくなる。
その状況を”徘徊”と呼ぶのは不適切だ、という声をお聞きします。
確かにこれらの行動を”徘徊”と呼ぶのに違和感を持たれる方も多くおいではないかと思います。
徘徊(行方不明になった)されてしまった方から
「私は、散歩という目的で出かけました。途中で道がわからず怖くなりましたが、家に帰らなければと意識していたので記憶に残っていた昔住んでいた街まで行ってしまいましたが、これは徘徊ではありません。」
とその時の不安と苦悩をお聞きしたことがあります。
外出したもののどこに行くつもりだったのかがわからなくなってしまい、さて戻ろうとしても道がわからなくなる。その外出にはもともと目的や意味があったにもかかわらず、認知症の周辺症状のためにうまくいかなかった状況です。
ですから、それが、どこともなく歩き回っている訳ではないのです。
日本語が意味するところの”徘徊”とは
徘徊=目的もなく、うろうろと歩き回ること(大辞林)、
どこともなく歩き回ること(広辞苑) とあります。
ですが、徘徊してしまった方であっても外出の理由は、私たちが歩き、外出する理由と全く同じもので出かけるのですが、目的とした場所が意図したところではなかったわけで辞書にある徘徊の意味とは異なるのです。
愛知県大府市では、下記のように「徘徊」という言葉を言い換えることにしたそうです。
ーー近年、認知症の方が一人で外出し道に迷うことなどを「徘徊」と表現することを改める動きが全国的に広がっており、本市でも行政文書や事業名等に用いる表現の見直しを進めてきました。
平成29年12月に制定しました「大府市認知症に対する不安のないまちづくり推進条例」を機に、行政内部では「徘徊」という表現を使用しないことといたしました。ーー
そして徘徊という言葉を以下のように言い換えようという方針だそうです。
「徘徊」「徘徊する」「徘徊中の事故」
→ 「ひとり歩き」「外出中に行方不明になる」「ひとり歩き中の事故」
「徘徊高齢者」
→ 「ひとり歩き高齢者」または「行方不明のなる恐れのある認知症高齢者」等々です。
当社はIDインソールを開発し間もなく10年になりますが、IDインソールを喜んで使っていただいている高齢者のご家族、認知症支援の関係者の方にとっては家族がひとり歩きしてしまい行方不明になった際には徘徊という表現で捜索願(依頼)をせざるを得ない状況が現実であり、徘徊という言葉に「抵抗がある」から使わないというご意見はあまりお聞きしません。
藤沢市に籍を置き、藤沢市内での営業活動の強化を図っている当社としては、藤沢市の行政当局に方針や決まりごとがあるのかを聞いてみました。 藤沢市というよりも藤沢市の広報プロモーション課というセクションにです。
広報プロモーション課としても、徘徊という言葉は出来るだけ言い換えるようにしているそうですが、市としての決まり事として 「こう言い替える」という確たるものはないようです。
当社としましては、高齢者が認知症になってしまい、外出をして、帰れなくなってしまう事例を「徘徊」と表現してきた事実、そしてそれがいまだに一般的で特に問題がないという方が多いのであれば 「徘徊」という表現を使うことを改め、言い換える必要性を今は感じておりません。
ただ、言葉というのは時代の流れ、流行などで変わっていくものです。 「徘徊」という言葉に多くの方が嫌悪感を感じるのであれば、抵抗なくそれを言い換える適切な言葉に言い替えたいと思います。 皆さんはどう思われますか?
いずれにしても、行政の方は、認知症で外出先から帰れなくなる(=徘徊)という事実があり、そのことにお困りのご家族がたくさんいらっしゃること、それを少しでも、解決する方向に向けることが最優先であり 「徘徊」という言葉に抵抗を感じる方々がいることは認識していますが、他の市町村と足並みをそろえることを優先することは言葉選びに時間を費やすばかりではないでしょうか。
優先すべきは、本来の認知症で行方不明になった方を一刻も早く保護することだと思います。多少、認知症が発症し始めたご高齢の方でも、自由に外出ができ、帰ることが出来なくなってしまっていても、ご近所ぐるみ、市町村ぐるみでおうちにお帰りいただけるような、ご本人にもご家族にも 安心で優しい街づくりを進めていただくことを優先して欲しいと思うのであります。
そして無事におうちに戻った際には、
「どこ行ってたの!」とか「何やってんのよ!」とは言わず、
「それは心細かったですね。」「それは怖い思いをされましたね。」と寄り添うことができる藤沢の街になってほしいと願っています。